コトタマ
「天と海」2021/07
海が眩しい季節です。日本語では天も海もアマです。
アマという表現で、天と海との共通点は、微々たる人間の存在に比べて、無限と思えるほど広く大きな空間、それがアマです。漢字渡来以前の日本語では、天も海もアマ(無限大)であり、太古人が初めて天や海を意識したときの、共通の実感と感動がありました。
試みに日常的な会話から、アマを主格にしたコトバを集めてみますと、アマネク(普遍)、アマル(余剰)、アマタ(数多)などがあります。「このネジはアマい」という日本的な表現は、余裕があって締まらないことをいいます。辛味や苦味のように、部分的に刺激する味と違って、口いっぱいに広がる柔らかな味が甘(アマ)みです。
「ねえ、これ買っていいでしょ」と女性に甘えられて、気前よく札束を出す男は、それだけの余裕があるからでしょう。「甘え」は無限の余裕に対する受身側の心情です。
「甘ったれ」と「雨垂れ」といえば、落語漫才的な語呂合わせのようですが、一滴一滴としたたる雨滴の背景には、全雨量的な量があります。天と海を通して語られるアマは地球や太陽をも含めた無限の創造物をいいます。
そのアマの背景には人為以前の宇宙自然の現象であり、その法則が古事記のアマテラス(天照らす)です。
かつて医学博士の土居健郎氏が「甘えの構造」を著して以来、日本人の精神的構造の重要な要素とみられるようになりました。氏は精神病理学者らしく、その甘えの潜在意識を母親に抱かれた幼児期に求めていますが、もっとそれ以前から、この国の恩恵豊かな自然への甘えがあったのではないでしょうか。



